Tokyo Short Sight - notes

Tokyo Short Sight's past notes [ #101.....#150 ]

#101 - 05/04/2005 [Wed] 21:03

アリジゴク

ひとり暮らしを始めて、快適であったハズのフロを取り巻く環境に、異変が生じた。

以前からフロをめぐる攻防については記していたが、ひとり暮らしを始めてからは特に問題もなくトイレタリーライフを送っていた。
しかし、その快適なトイレタリーライフに暗雲が立ち込めたのである。

シャワーを浴びていたある日、そのシャワーが熱く感じた。設定温度が44℃であったので、やや熱かったのだろう。僕は給湯の設定温度を40℃に引き下げた。
これなら、ちょうどいいとされる42℃よりも下の温度である、ややぬるく感じるかも解らない。

だが、まだ熱い。なんというか、44℃だったときよりも温度が上がっているような感覚さえある。
僕は思い切って、その機器が設定できる最低温度である35℃にまで温度を下げた。

おかしい、まだ熱い。熱さが尋常ではない。明らかに体温よりも高いだろ、コレ。

そういえば、元 X-JAPAN の YOSHIKI は、東京ドームだかのシャワールームのシャワーが熱すぎたのに腹を立て、リハーサルを放棄して帰宅した、というレジェンドもあった。
そんなことをチラリと思い出したそのとき、シャワーは突然、熱湯から冷水へと変貌した。本当に頭皮が裏返るかと思った。

給湯装置を急いで見てみたところ、主電源が落ちていた。大家さん、壊れてますよコレ!

フロさえ満足に入れない運命を抱えた人生。

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#102 - 05/06/2005 [Fri] 01:43

戦闘、地下深く

都営地下鉄大江戸線で、通勤している。

都営大江戸線は、朝ラッシュ時でも混雑度が低い。
さすがに座席は 100% 埋まっているが、席に座れない人間は各車両2〜3人程度で、カラダがひしめき合うそのほかの電車よりも通勤は快適である。
立っている2〜3人は、各駅で乗客が入れ替わる際にうまい具合に座れるので、乗客数は適正である。

だが、なまじ電車が空いているために、何らかの要因で席に座れない人間がひとつの車両内で7〜8人ほどになると、座席をめぐる血なまぐさい争いが始まるのである。

駅に到着するたびに、つり革につかまっている人間たちは、どの席が空くかギラつく目であたりを見回す。その目はまさにハンターの目。
席が空いた瞬間、急ぐ様子を悟られないように涼しいカオで座る人間。
あからさまなイラつきを見せる、席に座れなかった人間。弱肉強食の世界。
その狩りの舞台はサバンナなどではなく、都営地下鉄大江戸線の車内だ。朝8時すぎからそんなテンションなのである。

『ゆめもぐら』なんて愛称がつきそうになったところを石原都知事が「 NO! 」と突っぱねたのだが、確かにあんな車内に夢はない。あるのは予備校の広告のみである。

#103 - 05/10/2005 [Tue] 01:04

≒の三角関係

高校のクラスメイトの話。
ある日、コダマ君(仮名)とサトウさん(仮名)のカオが、ワリと似ているのではないかという話題が持ち上がった。

どこがどう似ているという決定打はなかったものの、確かになんとなく似ている。恐らく、ふたりの先祖はどこかで統合されていたであろう。
性別を超えた場所で、それぞれの人相がひとつに集約されていた、そんな気がした。

コダマ君(仮名)とは仲良くしていたので、「コダマ、サトウさんに似てるよな」などと同意を求めたが、コダマ君(仮名)は「そんなことないよ。それよりオレのケータイ(というか PHS )なんだけど…」と、まったく意に介していないようすであった。
コダマ君(仮名)といえば、ふた言目にはカネの話をすることで有名であるが、そんな話をしても喜ぶのは高校の同級生のみであるので、ここではあえて触れないでおこう。

“コダマ君(仮名)とサトウさん(仮名)が似ている”
完成された方程式を根底から覆す発言がなされたのは、意外にもサトウさん(仮名)の方からであった。

「ねぇねぇ、コダマ君ってさ、ウッチャン(内村光良)に似てるよね!」

統合されたふたりの先祖に、突然の伏兵・内村光良が割りいった。

僕らのリアクションは、ひたすらの半笑いのみであった。

#104 - 05/28/2005 [Sat] 04:56

父さん (1)

「お父さんの子供に生まれて、僕は幸せだったよ」。
父さんにはもうほとんど意識がなかったが、ただなんとなく、うなずいていた。

去年の7月にガンの診断を受けた父さんは、ずっとつらい闘病生活を続けていたのだが、5月23日に亡くなった。65歳だった。
でもその最期のカオには闘病のつらさを少しもにじませず、内から湧いてくる優しさを満面に表していた。本当に、いいカオだった。

---

5月9日、僕は会社の帰りに実家に寄った。
駅と僕の自宅の間に実家はあるので、帰宅の前に寄ることは決して面倒ではない。だがその手軽さから、実家に行く機会――つまり、病床の父さんに会うこと――は逓減していた。

僕が実家の父さんの寝ているところにカオを出すと、父さんはニコッと笑った。
僕は父さんにかわいがられて育った。父さんは間違いなく、僕に愛情を持っていた。この世に“絶対”はないのだが、これだけは言える。父さんは“絶対”、僕をスキだった。

父さんは仕事(実家では中華料理屋を営んでいる)がしたくても出来ないこと、僕が実家を出てから寂しい思いをしていること、何かおいしいものが食べたいということ、そのとき点いていたテレビを観て思ったこと、とにかくよくしゃべっていた。父さんはあまりしゃべることはないのだが、その日はよくしゃべっていた。
そのとき僕は「ひとりで寂しいんだろうな」としか思わなかったが、いま思えば、もうしゃべれなくなってしまうことを悟っていたのだろう。父さんとちゃんと会話を交わしたのは、これが最後だった。

やがて父さんは立ち上がり、「腕時計やるよ」と言いながら引き出しを開け、僕に腕時計を差し出した。何のブランド物でもない、しょうもない時計ではあったが、僕は素直に喜んで受け取り、すぐにウデにはめた。「大事にするよ」という言葉も自然に出てきた。

父さんが亡くなる、ちょうど二週間前のことであった。

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#105 - 05/30/2005 [Mon] 01:41

父さん (2)

5月12日、その日の僕はやけに急いでいた。
イヤな予感がしたワケではなかったが、早く実家に行って父さんに会いたいと、かなり強くただそう思っていた。

実家に着くと、父さんは眠っていた。テレビも電気も点けっぱなしで眠っていた。
僕がテレビや電気を点けっぱなしにして眠っていると「もったいないだろ」と怒られるのだが、どうやら自分のことは棚に上がっているらしい。
だがそうやって怒られることも、ガンによって徐々に彼の体力が奪われるうちに、なくなっていた。

いつもだったら父さんが眠っていることを確認すると、すぐに自宅に帰っていたのだが、その日は何か違っていた。父さんが起きるまで、その場にいなければならない気がしたのだ。
僕はゆっくり父さんの横に座り、ボーっとテレビを観ていた。何ひとつ面白くないテレビを、ただ。やがて僕もウトウトした。

トビラが開く音がして、ハッとした。母さんが父さんのようすを店から見に来たのだ。
母さんは、父さんがそういう状態になってしまってから父さんの看病と店の切り盛りとを、ほぼひとりでこなしていた。姉さんの助けもあったものの、その仕事量と精神の磨耗は、計り知れない。
母さんは僕が実家にいたことにやや驚き、そしてホッとしたカオを見せた。母さんと僕との会話で、父さんも目を覚ました。そして父さんは僕を見て「おお、いたのか」と言い、またニコッと笑った。

その日の父さんは、ほとんどしゃべらなかった。体調が良くないのだろう、僕は単純にそう思った。
僕はその静寂を打ち消そうと、父さんに「明日から一週間、寒いらしいよ」と言った。父さんは静かに、「そうなのか」と答えた。
これが、僕と父さんがマトモに交わした、最後の会話になってしまった。

22時くらいになり、僕は店で何か食べてから帰宅しようと立ち上がった。
すると父さんは「ちょっと洗面器を持ってきてくれ」と言った。吐き気を催したらしい。僕は父さんに洗面器を渡し、店に行った。
冷淡なように見えるが、父さんが吐き気を催すことは、闘病生活の中では日常になっていた。

店と実家は隣同士である。僕は1分程度で店に着き、母さんにタンメンを作ってくれと頼んだ。同時に、父さんが吐き気を訴えたことも伝えた。
タンメンを作り上げた母さんは、ちょうど店に客がいなかったので、すぐに父さんのようすを見に行った。

母さんが戻ってきた。母さんは、父さんのことが心配だから店を閉めて看病に徹する旨を僕に告げ、看板の電気を消すよう僕に指示した。
タンメンを食べ終わった僕は、やや心配に思いながらも帰宅した。

#106 - 06/01/2005 [Wed] 00:49

父さん (3)

5月12日23時すぎ。

自宅に着きしばらくすると、遠くから救急車の音が聞こえた。音は次第に大きくなり、僕の自宅の前を通ったかと思ったら、ちょうど実家の前あたりで止まった。
実家と自宅の距離はおよそ 50m ほど。本当にすぐ近くだ。
僕はひどく心配になり、実家まで走った。

実家の前に停まっている、救急車。不安は、的中した。

僕は、すぐに実家に上がった。そこには、座っている父さんがいた。
父さんが救急車で運ばれることは何度もあった。そのときはいつも、父さんが「倒れた」ときであった。激しい腹痛や、激しい嘔吐など、とにかく常軌を逸する体調で、救急車は呼ばれていた。
だが今回は「座って」いる。母さんに尋ねたところ、念のため救急車を呼んだのだそうだ。それを聞いた僕は、少しだけ安心した。

ただ、父さんに覇気がない。
いつもは、僕ら家族が救急車を呼ぶと「救急車なんて呼ぶんじぇねぇ、みっともねぇ!」と父さんは反抗するのだが、そのときの父さんは大人しく、ただ座っていた。ましてや、それほど体調が悪くなさそうに見える父さんである、なぜそんなに大人しくしているのか。
そこまで体力がなくなっているのか。僕は逆に、不安になった。

担架に乗せられる父さん。「大丈夫?」と僕は尋ねる。「大丈夫だよ…」と父さんは答える。なんでそんなに弱々しいんだ。
担架で運ばれる父さん。彼の目には、あきらめにも似たやるせなさが、映ってる。どうしてそんな目をするんだよ。

玄関のドアが閉まる。このときを最後に父さんは、二度と家に帰ってこなかった。

#107 - 06/02/2005 [Thu] 23:03

父さん (4)

5月13日、今日は金曜日である。
その日の会社の帰り、北千住のマルイに寄って買い物をしていた。引越しを手伝ってくれた義兄さんに、そのお礼のプレゼントを買うのである。
もっとも、引越しをしてから二ヶ月近く経ってしまったが。

プレゼントも買い終わり、マルイを出る。そのとき、母さんからデンワがかかってきた。
「話したいことがあるから、帰るときに実家に寄って」。
なんだろう、面倒くさいなあ。僕はそうとしか思わなかった。いま考えると、はなはだ危機感が薄かった。

「お父さん、もって二ヶ月だって。すぐに集中治療室に運ばれたよ」

父さんがたくさんの料理をつくり、客や僕らにふるまった実家の店で、僕は灰色の真実を聞いた。
父さんの生命の終端が、リアリズムを持った瞬間である。伸ばしに伸ばして、余命は二ヶ月。父さんは秋まで生きられないのか。

ひとり暮らしを始めてから、二ヶ月。父さんの余命もまた、二ヶ月。

その夜、逓減していく彼の生命を嘆いた。
二度とあの店の厨房には立てない父。ひとり残される母はどれだけ寂しくなるのか。父を大好きに思っていた姉も悲しむだろう。すぐにケンカ口調になる兄も、それさえ出来ない。すべてが思い出に、過去の出来事に、なる。
僕はとにかく、たくさん泣いた。

あの夜、「仕事してぇなぁ」とつぶやいた父さん。
もう、叶わないんだ。もう、ムリなんだ。それが、死というものなんだ。

そんな中、今年の2月23日に、父さんとふたりで散歩したことを思い出した。
隣りの隣りの町まで、たくさん歩いた。2月にしては暖かい日差しの中、他愛のない話をしながら、ただ歩いた。純粋に楽しかった。すべてが柔らかに、みずみずしく思えた。
その散歩を、春になったらまた父さんとしようと思っていた。でも結局、出来ないまま今日になってしまった。願望が、絶望になった。

肌寒い夜は、涙に濡れた。

#108 - 06/05/2005 [Sun] 12:03

父さん (5)

5月16日、会社の帰り道に姉さんからデンワがかかってきた。
「お父さん、会える状態になっていたから、オマエも病院に行ってきな」。

12日に入院してから父さんには痛み止めの点滴が施され、その副作用により父さんはほとんど眠っている状態になってしまっている。「会える状態」とは、すなわち起きていて意識のある状態を指す。
僕は病院まで急いだ。父さん。
病院に着き、病室まで駆ける。父さん。

そこには、痛み止めの副作用により、やや凶暴になっている父さんがいた。
髪はボサボサで、激しく暴れていた。痛み止めによって幻覚が見えているのだろうか、意味不明なことさえ口走っていた。点滴の管と針が何本も刺さっているその姿は、まさしく恐怖であった。

僕のウデには腕時計。父さんからもらった腕時計。
この腕時計は、先週の今ごろ、もらったんだ。確かに、先週まではあんなに優しいカオをしていたんだ…。

僕は、その場にいるのがとてもつらくなった。
もう長くは生きられない父さんのそばに、少しでも長くいてあげたい。でも、その恐怖の姿を正視できるほどに強靭な精神は、僕にはない。
ジレンマを抱えた僕は、それだけで精神の均衡が脅かされていた。それが、生命の終端を臨む人間のそばにいる、という現実なのか。

ドラマなんて、しょせんは美辞麗句の集合体である。僕は、僕の見た現実を近視眼的にしか書けない。

面会時間の終了とともに、僕はすぐに帰宅した。死を間近に控えた父さんに、「じゃあね」すらも言えなかった。
だが、父さんのしゃべる姿を見たのは、これが最後だった。

#109 - 06/07/2005 [Tue] 19:47

父さん (6)

5月19日木曜日。
あの日から病院には行っていない。さすがにあの状態をこれ以上見るのはつらい。あんな状態なら、いっそのこと死んだ方が…、そんなことも考える。

定時まであと一時間くらいになったとき、母さんからメールが届いた。
「どこにも寄らずにすぐ帰って病院まで来てください」
心臓が締まるあの感じを、僕は強く記憶している。

僕は上司に事情を伝え、すぐに帰路に就いた。
駅のホームも、地下鉄の車内も、タクシーの車窓も、すべてに色がない。焦燥感が、五感のすべてを奪っていた。
父さんにもらった腕時計。ここだけに、色がある。秒針が、ゆっくり動く。

病院に着いてから初めて、どの病室に行けばいいのだろうと考えた。が、病院に入ってすぐに姉さんを発見し、ややホッとした。
姉さんと病院のエレベーターに乗り、病室を目指す。なかなか閉まらないドアにイラ立ちを見せると、姉さんがすぐに“閉”のボタンを押した。目的階に着き、病室に駆け込む。

父さんは、酸素マスクをつけられ、横になっていた。僕のカオを見た瞬間、父さんは目を大きく開き「おぉ」と言ったが、そのあとはうつろに、ただ何となく上を見ていた。
もう、自力で起き上がることも、言葉をしゃべることもなかった。

父さんの生命の末端が本当に近くまで来ていることを、僕は悟った。
そして母さんから、「明日の明け方くらい…、だって」と、その瞬間をいつ迎えることになるかを、僕は聞いたのである。

#110 - 06/13/2005 [Mon] 01:20

父さん (7)

5月19日。父さんを見舞い、思う。
父さんは、本当に僕のことを気にかけていた。

バイトなどで僕の帰りが遅くなると「まだ帰って来ない」とひたすら心配していたようだったし、しかもそれが22歳になっても続いていた。21世紀になり、携帯電話というベンリなものが普及しても、だ。
つい先日実家に行ったときは、僕がその辺でうたた寝を始めると、静かに毛布をかけてくれていた。毛布をかけられたことには、まったく気づかなかった。父さんの心配は“優しさ”として、ストレートに僕を貫く。
しかし、うつろな目をして横たわっている父さんには、もうそんなことさえできない。彼には呼吸しか、出来ないのである。

悲しい。僕はそうとしか思えなかった。
そして、せめてもと思い、父さんにお礼をした。

「ここまで育ててくれてありがとう。僕はもうひとりで生活出来るし、お給料ももらったよ。だからもう、心配しなくても大丈夫だよ」

胸が詰まって、コドモっぽい言葉しか出てこなかった。心配しないでもらいたくてこの言葉を伝えたかったのに、このザマである。

でも父さんは、カオをクシャクシャにして笑ってくれた。一見何の表情だか解らないのだが、彼は確かに笑っていた。
父さんの笑顔を見ることが出来て、本当にヨカッタ。

そうだ、腕時計のお礼を忘れていた。

「あと、この腕時計ありがとう。時計があるとベンリだね。絶対に大切にするよ。でもこの時計、よく遅れるんだ」

僕がそう言うと、父さんはまたカオをクシャクシャにしてくれた。

#111 - 06/13/2005 [Mon] 20:55

父さん (8)

5月20日。母さんからの連絡はない。
有事には病院からの連絡が母さんに行くことになっている。そのときはすぐに僕にも連絡してくれるように、母さんには頼んである。

この日は金曜日だったのだが、会社には事情を伝え、休みをとった。
休みをとることに引け目を感じていたのだが、上司は「その判断は、むしろ褒めるよ」とメールしてくれた。本当にありがたい。
午前中は何ごともなく時間が流れ、午後になった。面会時間は午後3時からである。僕はすぐに病院に向かった。

父さんの容態は、明らかに悪化していた。

止血するための細胞がカラダに不足しているからか、父さんのクチは血だらけだった。頬は昨日以上にコケていた。目はうつろに半開きで、ただ上の辺りを見ていた。呼吸は荒い。

ガンに侵されると、かなりの痛みを伴う。
その痛みを感じなくさせるための痛み止めを処方するのだが、その際に動悸が早くなり、体力を消耗するのだ。姉さんいわく、マラソンをするくらいの体力を使うらしい。
動悸が早くなると、酸素を必要とする。そのため、呼吸も荒くなる。
この日の時点で、父さんは呼びかけに応答することも難しくなっていた。話しかけても、反応がないことの方が多くなっていたのだ。

つまり、荒く呼吸をするためだけに、父さんは生きているのである。

そういう状態である。それを目の当たりにした僕は、“つらい”という言葉しか、思いつかなかった。僕も父さんも、双方につらい。
父さんが呼吸をする間で、時折タンが絡む。それに対し、イヤそうに目をグッと閉じ、ウデを振る。彼はもう、その程度の動きしか、出来ないのである。

起き上がることも出来ない父さん。病魔が、彼の全身を蝕む。
僕は失意のまま、病院を後にした。

#112 - 06/14/2005 [Tue] 23:07

父さん (9)

5月21日。
やはり母さんからの連絡はない。

午後になり病院に行き、父さんを見舞う。
父さんの呼吸はさらに荒く、顔色は悪い。「おー…、おー…」と、つらそうな声を呼吸とともにあげている。
死の足音は、確実に彼のもとへと近づいている。

もう反応さえもしてくれないのではないか、そう思いながらも、父さんに話しかける。父さんは、呼吸による音とは違うリズムで「おぉ」と、言ってくれた。
ただそれだけなのに、僕は嬉しかった。

父さんはお酒がスキで、たくさん飲んではよく僕に絡んできた。僕はそれがとてもイヤだった。
そして、それが原因で肝臓を壊し、父さんはこんなふうになってしまった。
でも今の彼には、そのどれも出来ない。お酒におぼれることも、僕に絡んでくることも…。
もう少しだけ、カラダをいたわればヨカッタのに。そうすれば、誰もイヤな思いをしないで済んだのに…。

17時ころに所用でいったん病院を2時間ほど離れ、再び病室に向かった。2時間くらいおいただろうか。
たった2時間のあいだでも、彼の容態は明らかに悪くなっていた。顔色はさらに悪く、土気色になっていた。

生まれたばかりの赤ちゃんがどんどん成長していくように、生命の終端が近づくにつれ一刻を争うように人間の容態は変化していく。
父さんの死が、どんどん現実味を帯びていった。

#113 - 06/15/2005 [Wed] 22:50

父さん (10)

5月22日。
正直なところ、僕のカラダも疲れていた。

父さんの死は悲しい。だがあのまま、「呼吸をするためだけに」生かせておくことも、つらい。

そのジレンマの中で、僕は父さんの容態をどう心配すればいいのか、解らなくなってきた。死んでほしくない、でもあの状態で生きていてほしくもない。
本人はどうしたいのか。ところが彼はしゃべれない。父さんだったらどう言うかな。…解らない。
どうすればいいんだろう。どうしたらいいんだろう。僕は何をするべきなんだろう。

僕の精神は限界に来ていた。それによって、体調も崩していた。
食事をすると僕を襲うのは吐き気。そして強烈な下痢。

でも、父さんはもっとつらい思いをしているんだ。僕はそう考えるようにした。
不毛な考え方だということは、もちろん解っている。

#114 - 06/16/2005 [Thu] 21:03

父さん (11)

5月22日午後、父さんを見舞う。
荒かった呼吸は浅くなり、きっともう目も見えていないのだろう。焦点は合わず、瞳の動きに意思が感じられなかった。半開きの目は何を見るともなく、天井を向いていた。
僕の呼びかけにも、応答はなかった。

父さんは弱い呼気とともに、声を発していた。「ああ」とも「おお」ともつかないが、何かを言っていた。
父さんの五感は、多くが絶たれている状態である。目は(恐らく)見えず、手足はむくみ感覚に乏しい。クチには酸素マスクをしているので、味もニオイも解らない。さらに痛み止めも打っているので、各感覚がさらに鈍くなっていることだろう。あるのは聴覚のみか。
憶測に過ぎないが、呼吸しか出来ない父さんは、呼気とともに声を出すことで、自分の存在を確かめていたのだろう。自分はまだ生きている、ということを。

暗闇の中で聞こえる、自分の声。
それは、自らの存在と生の証である。そうすることでしか、自分の存在と生を証明できないなんて。
そんなことを考えた僕は、怖く、悲しく、切なく、つらく、否定的な感情しか覚えられず、とにかく胸が苦しくなった。

「お父さんの子供に生まれて、僕は幸せだったよ」。
突き動かされるように、暗い気持ちを打破するかのように、僕はそう言っていた。

僕の存在は、父さんの生の証である。
父さんがいなければ、僕は生まれてこなかった。父さんがいたから、僕は幸せに育ってきた。
こうして父の病状を心配でき、人や動物や花やモノさえをも愛し、喜びや悲しみを共有でき、人を楽しませようと思うことのできる人間に育った僕は、本当に幸せだった。
ありがとう。本当に、ありがとう。本当に…。

その言葉を聞いた父さんは、小さく小さく、うなずいていた。もうほとんど、意識なんてなかったのに。
父さんは確実に、生きていた。このときまでは、確実に生きていたんだ…。

外では雨が、降り始めた。

#115 - 06/18/2005 [Sat] 21:34

父さん (12)

5月22日夕方。大粒の雨の中、カサを持たない僕は、びしょぬれになりながら自転車を走らす。
街の誰もが、カサを持っていなかった。想定外の夕立。

いま考えると、この想定外の雨は、父さんが降らせたのではないか。僕の帰りが、悲しかったのではないだろうか。いわゆる“涙雨”である。
なぜなら父さんが僕を認識したのは、この日このときが最期だったからだ。

別れの感情を具現化するため、もう感情をあらわにすることすら出来ない父さんは、想定外の奇蹟を起こした。僕は、そんなふうに考える。

その日の夜は、彼女の家でごはんをごちそうしてもらった。彼女の家には、3匹の子猫がいた。なんでも知人のそれを預かっているらしい。
こうして生まれ出でて間もない生命もあれば、もうすぐ消えようとしている生命もある。愛らしい子猫を見ても、そんなことを考えてしまう。
ごはんをごちそうしてもらったのだが、やはりすぐに吐き気と腹痛が襲う。つらい。でも父さんは、病室で孤独なままもっとつらい思いをしているんだ…。

そして、20時くらいから強烈な胸騒ぎ。まったく気持ちが落ち着かない。
父さんのことが、とても気になる。僕を呼んでいる気がする。

父さんの死まで、残りおよそ12時間であった。

#116 - 06/19/2005 [Sun] 13:35

父さん (13)

5月23日月曜日。
午前4時半ころ、急に目が覚めた。可燃ゴミを出す日であることを思い出したのである。

そういえば、父さんはゴミ出しの日にはうるさい人であった。そのおかげで、僕はキチンとゴミ出しの出来る大人になった。
だが、資源ゴミの概念は理解していなかった。空き缶を資源ゴミの日に出そうとすると、「あれ、今日は燃えないゴミの日じゃないだろ」とよく言っていた。ワリと最近までそう言っていた。

都合のいい解釈をすれば、きっとこの朝、父さんが僕を起こしてくれたのだろう。最期に、ゴミ出しのために僕を起こすなんて、本当に父さんらしい。

ゴミ出しをして、しばらくテレビを観ているうちに始業時間近くになり、会社に休む旨を伝える。
会社に連絡して、ホッとして眠り込んでいたとき。デンワが鳴った。

「お父さん容態が悪くなったって、すぐ病院に行って! お母さんもこれから行くから!」。
母さんは慌てていた。想定内の出来事でも、やはり慌てる。
僕は急いで着替え、病院に向かった。病院への道程は急ぎ慌てていたからか、ほとんど覚えていない。

病室へ駆け込むや否や、横たわっている父さんに声をかける。
それを見た母さんは「もう(声をかけても)わからないよ…」と、あきらめの表情で僕を諭した。 父さんの心臓は、もう止まっていたのだ。でも、まだカラダは温かかった。

僕の到着を見て、主治医が「では、ただいま、11時30分、ということで…」と言い、2005年5月23日11時30分、父さんの死亡が確認された。

父さんの長い闘病生活は、こうして幕を閉じた。

父さんの死を目前にしても悲しみの感情はなく、むしろ病気の苦しみから解放されてヨカッタね、そういう一種の安堵の気持ちに近い感情や思いを、僕は持っていた。恐らく、家族みんながそうであったと思う。
「お疲れさま、よくがんばったね、本当にありがとう」。僕はとにかく、そんなことしか言えなかった。

父さんは、その長い闘病生活のつらさを微塵も感じさせないような、柔和な笑みを浮かべて、永久の眠りに就いていた。
その表情に、父さんのもつ優しさすべてが、集約されているような気がした。

#117 - 06/19/2005 [Sun] 14:11

父さん (14)

5月26日。
抜けるように青い空と、こまごまと浮かぶ白い雲。日差しは強く、本当にいい天気である。

僕の父さんは灰になり、この高い空へと舞い上がっていった。これだけいい天気である、きっと迷うことなく行くべきところへ行くことが出来るであろう。
家族の写真と、お店で料理を作っているときに着ていた作業着も一緒に、父さんはこの空を舞い上がった。10年くらい前に飼っていた ねこ の写真も一緒だし、きっと寂しくないハズだ。

父さんは柔和な表情のまま、高温で焼かれてしまった。やはりそれは、とても寂しくて悲しくてつらかった。
でも、こんなにいい天気である。悲しいけれど僕には悔いはなく、父さんもこの青い空を喜んでいるだろう。

あの日、父さんと一緒に歩いた日。あの日も確か、これくらいにいい天気だった。
冬の日にしては強い日差しのもと、僕と父さんはずっと一緒に歩いていた。「ここもマンションになったんだ」「今日はこの公園に ねこ いないね」、そんなどうでもいい会話を繰り広げながら。
僕と父さんは、一緒に並んで歩いていた。青い空と日差しのもと、歩いていた。幸せな時間だった。

今日もいい天気なのに、父さんは僕の隣りにいない。父さんは、なんだかずいぶん小さな箱に入ってしまい、兄さんに抱えられている。

初夏の強い日差しのもと、僕と父さんは別の道を歩くことになった。
こんなにいい天気なのに、もう一緒には歩けない。父さんはずっと遠くに行ってしまった。手を伸ばしても届かない、この空のさらに上へ。

空を見上げる。そんな僕にはやはり、この言葉しか言えないんだ。

「お父さんの子供に生まれて、僕は幸せだったよ。本当にありがとう。」

#118 - 06/19/2005 [Sun] 23:57

父さん (15)

6月19日。
父さんが亡くなってから時間は流れ、ひと月近くが経った。

今日は父の日である。生まれて初めて迎えた、父のいない父の日。

父さんの余命が2ヶ月と告げられたあの日、父さんと迎えられればいいなと思っていた父の日。でも、結局それはかなわなかった。
僕はこの先、父さんにその感謝の気持ちを父の日に伝えることは出来ない。プレゼントも出来ない。父さんには何もしてあげられない。
それが“死”というものなのだ。永遠の離別。

でも僕は、充分すぎるほどにたくさん、父さんに感謝の意を伝えられた。それは建前でもなんでもなく、僕の内面からストレートに湧いてきた気持ちであった。
そういう意味では、僕は後悔はしていない。父さんもまた、面倒くさいと思われながら渡されるネクタイなどのプレゼントを受け取るよりもきっと、純粋にうれしかったであろう。

何度も何度も言う。僕はそう思うから言う。本当にありがとう、父さん。

僕のパソコンのディスプレイの横には、あの腕時計。亡くなる2週間前の父さんからもらった、腕時計。父さんの形見の、腕時計。
相変わらず、この時計は少し遅れた時を刻んでいる。

---

次の更新からはまた、バカ話とかを書いていきたいと思います。
私情の駄文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

#119 - 06/21/2005 [Tue] 21:49

バニラトラップ

バニラエッセンスの苦味には、だまされたクチである。

小さいころ、実家の食卓にあったバニラエッセンスを大量にクチに入れ、味わったあの絶望。今でも極彩色でよみがえる。
なんというか、カラダ中の60兆の細胞が、いっせいに「えー、マジで!?」って叫んでいた感じがする。
「えー!」って言いながら足を中に向け、ひっくり返っているイメージだ。同時に砂煙も立ち込める。星も飛び出す。

甘いニオイに誘われ、一網打尽される僕。バニラエッセンスサイドも、もう少しサービス精神を見せてくれてもいいじゃないか。

びっくりして、食卓で半べそになる幼い僕。母親にまで「バカだね〜」となじられる。
しかしそれにも関わらず、僕はまたクチにした。自分の味覚がおかしいと思ったのだ。こんなハズはない、こんなに甘い香りなのに。
そして再びひっくり返る、60兆の細胞たち。2回ひっくり返ったので、天地は正しくなった。

23歳になったいま、消費者金融の CM やお色気スパムメールを見るたびに、バニラエッセンスで味わった絶望を思い出す。

#120 - 06/22/2005 [Wed] 22:26

エス エス エス エス エスケープ!

都営地下鉄大江戸線の本郷三丁目駅で、カサをさして電車を待っているおっさんを目撃した。

大江戸線には地上区間がないことは、以前も書いた。ゆえに、何をどう考えてもカサをさして電車を待つことはありえない。
地上区間を走り、なおかつホームに屋根のない駅であるなら理解に難くないのだが、ここは地下深くを走る大江戸線の本郷三丁目駅だ。おっさんに何が起きたのか。

しかし、ここで断っておきたいのが、僕はそのおっさんの後姿のみを見た、ということだ。
あくまで、カサをさしていた後姿がおっさん的だったにすぎない。

もしかしたら、おっさんではなくトトロだったのではないか、そんなことさえ脳裏をよぎる。
事実、後姿は似ていた。カサとか色とか体型とか。

「地下鉄駅でカサをさしながらおっさんが電車を待つ」も「大江戸線本郷三丁目駅にトトロ出現」も、どちらも“ありえない現象”というフィールドでは同じことである。どちらに夢があるかなんて、考えるまでもない。

早く僕のところにもやって来ないかなぁ、猫バス。

#121 - 07/10/2005 [Sun] 01:42

ミュ〜ジカル バトン

しばらく更新していない間にミュージカル何とか何名からかが回ってきたので、マヌケ面を引っさげて回答して行こうと思う。いや実際、いつ回ってくるかワクワクしてたんですけどね。

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【コンピュータに入っている音楽ファイルの容量】

3.53GB
ちなみに会社で使っているパソコン(WindowsNT / ペンティアムII)のハードディスクは 3GB でした。強まった機能は業務に必要ないとはいえ、ロースペックすぎるだろ。

【今聞いている曲】

JAM / THE YELLOW MONKEY
基本的に iTunes 内の曲をシャッフルモードで適当に流しているので、こういう現象が起きます。でもこの曲はスキです。スキじゃなきゃパソコンに入れないだろ!(ひとりツッコミ)

【最後に買った CD】

記憶にないです
もうここ最近は TSUTAYA に通っているし、基本的に CD 買わない人なので…!

【よく聞く、または特別な思い入れのある5曲】

ロビンソン / スピッツ
中学1年の時に初めて買った CD です。や、いいよね。サビ前のコードの展開がスゴイと思った。

Feel Like dance / globe
初めて聞いたときのあの衝撃は忘れない。サビしかない曲って、基本的にスゴイ。だから小室哲哉の 90年代中期までの曲はスゴイと思うのです。

MOTER MAN(秋葉原〜南浦和) / SUPER BELL"Z
初めて聞いたときのあの衝撃は忘れない。個人的には彼らの 2nd single 『老・ラッパー』の方を強くオススメしたいが、マニアックすぎるので心底に収めておく。

雨上がり / レミオロメン
レミオロメンの曲の中ではいちばんいいと思ったのだが、カラオケで歌うと「誰の曲?」というカオをされること請け合いの一曲です。

WOW WAR TONIGHT〜時には起こせよムーヴメント〜 / H Jungle with t
「流れる景色を必ず毎晩見ている うちに帰ったらひたすら眠るだけだから ほんのひとときでも 自分がどれだけやったか 窓に映ってる素顔を褒めろ」の一節に、自分を重ねられないサラリーマンはいないと思う。

【バトンを回す 5人】

  • 山田さん
  • 山田さん
  • 山田さん
  • やま田さん
  • 山田さん(旧姓)

我こそは! とお思いの山田の方、ぜひどうぞ。

自分の音楽的嗜好をさらけ出すって恥ずかしいな。商業音楽だらけじゃねぇかって? いいと思った曲はいいんだよ! 僕はそう叫ぶ。

#122 - 07/10/2005 [Sun] 02:07

アリジゴクの中

自宅の給湯器の調子が悪いことは以前書いたが、それの修理のおっさんがやってきた。

おっさんというか、ややおじいちゃんエリアに片足を突っ込んでいる風貌の男性なのだが、よく動く。
給湯器のカバーを外したかと思いきや、部屋に上がりこんでお湯を出す。そして持参している小汚いタオルで汗を拭う。ちなみに今日の東京は肌寒い。

やがて温度計を取り出し、35℃ の設定で湯の温度を計測する。
表示された温度は 49.2℃。その水温の湯で、僕はあの日アタマを洗ったのか。なんだ、ひとり熱湯コマーシャルか。

35℃ だろうが 42℃ だろうが 50℃ だろうが、設定をいくら変えても 47〜49℃ あたりを表示する温度計。この操作パネルは何を操作しているのか。

おっさんが給湯器のガス圧を下げたり、給湯器を通る水道の水圧を上げたりして、湯の温度は下がったものの、それでも 35℃ の設定に対して温度計の表示は 45℃。入浴やシャワーにはやや適さない。
どうやら給湯器内部のコンピュータ基盤が故障しているか、操作パネルがおかしくなっている可能性があるとのこと。おっさんはそれらの故障に関してのソリューションは、持ち合わせてはいないそうだ。
そして後日、内部の基盤や操作パネルを新しいものと交換するとのこと。おっさんはさらに、こう続ける。

「まあ、熱くっても水でうめればぬるくなりますしね」

おっさんのソリューションはそこに集約された。修理という仕事さえも放棄。

#123 - 07/18/2005 [Mon] 23:27

メタファー

美容院で髪を切ってきた。

店内にはワリと多くの客がいて、だいぶ忙しそうだ。実際、かなり待たされた。
こういうとき、店員は何冊かの雑誌を僕に手渡す。

渡される雑誌はだいたいオサレ雑誌(メンズノンノ とか)で、渡されるたびに打ちのめされる気分になる。
なんだ、「こういう雑誌で少しはオサレに気を遣え、この A-Boy(*1) が!」というメタファーか。

しかし、今回は違った。
3冊の雑誌が渡されたのだが、そのうち2冊はオサレ雑誌で、残る1冊は『ナショナル ジオグラフィック 日本語版』だったのだ。

誌上に燦然と輝く「世界遺産」の文字。なんだ、コレはどういうメタファーなのか。

しかもそれが2002年10月号であったことに、ネガティヴシンキングが止まらない。

(*1) アキバ・ボーイ の意。

#124 - 07/19/2005 [Tue] 20:57

若さの間違ったとらえかた

安易に“ポテチ”と言うのは、もうやめにしないか。

ポテトチップスを、“ポテチ”と略す人がいる。
それ自体は理解に苦しくないのだが、いかんせん調子こいてる感が否めない。あくまで個人的な感情なのだが。
語尾が上がっていると、その思いに拍車がかかる。

ところが、実際のところはポテトチップス略して“ポテチ”なのだ。その事実からカオを背けることもまた、できないのである。

だからといって、フライドポテトを指差し「ポテチ」と発音するのは、いかがなものか。
バイト(マック臭)していたころ、まま見られた。

“チ”は違うだろう。
“チ”はいったい、どこから派生したのか。音便的には何音便になるのか。

「“ポテチ”と言えば若い」と思われる時代は、鈴木蘭々などとともに遠いあの頃に置き去りにする勇気を、僕は称賛したい。

#125 - 07/21/2005 [Thu] 22:36

父の納骨式にTシャツとGパンで行こうとしたことは内緒だよ。

5月に亡くなった父の納骨式が、先日執り行われた。

無事に遺骨を墓に納め、その後は親戚一同での会食。座席はふたグループにわかれ、母は隣りのテーブルのほうでなにやら話していた。
父が死を迎えるかどうかの頃の話をしているのか、やや涙ぐむ母。親戚一同も沈痛な面持ち。

だが母の席の料理に、さっきからハエがたかっているのだよ。

ハエの一挙手一投足を凝視する僕。あ、箸に飛び乗った。

やがて甥もその様子に気づき、ナチュラルにシャウト。「ばーちゃん、たいへーん!!」
母方の伯母も続ける。「お友だちが来たよー!!」

納骨式だっつの。
まぁとにかく父さん、僕らは楽しくやってます。

#126 - 07/25/2005 [Mon] 01:01

God hits us

僕の住むスラム街ことトーキョーシティー・アダチブロックに、ついに神の鉄槌が下った。

先日、関東南部で発生したワリと大きな地震の最大震度5強は、この東京都足立区のみで観測された。
コレを足立区の存在を憂慮した神による裁きであると考えない方が不自然であろう。

その当時僕は、新しく購入したパソコンに古いパソコンのデータを転送したりしていた。
地震発生。小さな揺れの後に、未経験の揺れ。いや、小さな揺れの途中で、気持ちの悪い低音が感じられた。地響きとでも言おうか。
僕はその音に驚いて、「ヤバイ」と思い玄関に退避した。玄関の一歩手前で、本震が足立区に到達。

波打つ地面。聞いたことのない、振動から繰り出される音。
僕の住むアパートの階段を駆けおりながら、関東大地震がついにきたか、そう脊髄的に思った。
こういうときは、カラダひとつ持ち出すのが精一杯であるなと、リアリティをもって感じた。

揺れが収束し、家に戻る。彼女や家族にデンワしても、まったくつながらなかった。
イライラ ギリギリしているところに、給湯器修理のおっさんが再来。

「やー、揺れましたな!」。
そう言いながら、おもむろにお湯を出し始める。

えー!? ガス漏れとかの可能性は、考慮しないのか。

#127 - 07/25/2005 [Mon] 21:53

ナーバス・ワールド

ドラえもんは、地面から数ミリ浮いた状態で歩いていることを、みなさんはご存知だろうか。

地面から数ミリ浮いた状態で歩いているため、足の裏にゴミや汚れが付着することはなく、クツを履く必要がない。
どういうシステムになっているのかは解らないが、結果だけから推測しても22世紀の科学力はすさまじい。

いや、ちょっと神経質すぎはしないか。

足に汚れがついたまま家に上がり込んできても、ドラえもんなら大歓迎である。
そんなことを問題にしたら、僕の足の臭さはどうなってしまうのか。平和な22世紀で受ける迫害/国外追放/アパルトヘイトも、やむをえない。
ドラえもんであるなら、いくらでも汚い足を拭いてやる。スキなだけ どら焼きを食わせてやる。だからまず、フエール銀行を出してほしい。

話がややそれてしまったが、足の清潔さをある種のステータスにしないと、あのロボットは22世紀の民には見向きもしてもらえないのだ。
ココにドラえもんの陳腐さ、さらに突っ込めば、ダメさ加減が垣間見られる。

足は常にキレイなドラえもん。そこには彼の悲しみが去来している。

#128 - 07/28/2005 [Thu] 22:52

Dreaming, I was dreaming

彼女(負けじと奇才)が、眠っているにもかかわらずアド街ック天国に反応した、という出来事は以前お伝えしたが、どうやら僕も、眠っている間にいろいろとしでかしているらしい。
以下は彼女からの伝聞なので、正確な状況はあずかり知らないことを、前置きしておく。

ホゲホゲと眠る僕。横では彼女も熟睡している。
そして僕が突然にシャウト。

「やっべー、なにこの景色!」

この寝言を言ったときは、確かに夢を見ていた。
どういったいきさつかは不明だが、冬の札幌の公園で野宿することになり、その公園内によい寝場所はないものかと小高い丘に登って見渡したところ、公園内には夏服の女子高生が満ち満ちていたのだ。
闇夜でキャンプファイヤーのようなことをしている女子高生の集団。思わず夢と現実の壁を突き破り、「やっべー、なにこの景色!」と叫んでしまったことは、もはや致し方ない。

しかも驚きのあまり、僕は現実世界でひたいに手を当てていたらしい。なんかもう救いようがない。

レジェンドは続く。
別の日、またホゲホゲと眠る僕。横で彼女も熟睡している。
そして僕が突然にシャウト。

「それは奇蹟だよ!」

このときは何を見て、何の感想として“奇蹟”だと思い発言したのか、まったく覚えていない。
ナゾがナゾを呼ぶとはまさにこのこと。やり逃げにもほどがある。

しかも「それは奇蹟だよ!」と言いながら、僕は現実世界で手を大きく広げどこかを指し示していたらしい。
“奇蹟”の所在を解りやすく示しておきながら、その実態は永久に不明である。僕らはいつも、矛盾を抱えて歩き出す。

ここまでくると、軽い夢遊病と診断されても不思議ではない。次のレジェンドを待て。

#129 - 08/08/2005 [Mon] 23:57

わかり始めろ! Your Revolution!!

客先に配属されてひと月になる。勤務先は新宿から港区の某所になった。

僕は毎朝決まった時間の東京メトロ南北線の電車に乗って、会社近くの駅まで行く。
駅からしばらく歩くと、信号がある。ココでも決まって、同じ女性とすれちがう。

だが、同じ時間に同じ信号ですれちがうこの女性、いつも全力疾走なのだ。

初めて全力疾走のこの女性とすれちがったときは「ああ、遅刻しそうなんだな」と思ったが、毎朝毎朝、来る日も来る日も全力疾走なのだ。すれちがう回数を重ねるにつれ、疑念も湧き始める。
何を考えているのか。そういうプレイなのか。それとも朝のジョギング気取りか。

必死の形相で、僕があとにした駅を目指す女性。
その女性に、「目覚まし時計を10分早くセットする」という最高のソリューションを教えるべきなのだろうか。

僕は今朝、いつもより1本遅い電車で会社近くの駅に到着したのだが、その女性とはキチンと駅の階段ですれちがった。

もちろん、僕のある種の期待を裏切ることなく、全力で階段を駆け降りる女性。
誰だか知らんが、この女性に幸あれ。

#130 - 08/09/2005 [Tue] 23:59

六本木を歩く女性に交際を申し込み、了解を得たのち銀座の寿司店で食事をする

会社の同期のフクシマ君(仮名)が、僕の自宅を擁する足立区へとやってきた。

自宅へ招く際に「今日は彼女いないの? オレ、彼女に怒られない? 土下座で許してくれるかな? 呼吸をさせていただきます」と彼は意味不明な心配をしながらも、僕らは足立区の地へと降り立ったのだ。
彼は「新しい業界用語覚えたから聞いてくれ」と宣言した後、「ギロッポンのナーオンをパンナーして、ザギンでシースーをベーターする」と得意満面に言うほどのポテンシャルを持っている男である。
先日も昼食時に、“【ハードゲイ】という概念を最初に考えた人について”のテーマのもと、小一時間議論を交わした。断っておくが、僕らは社会人だ。

さて、足立区に降り立ったフクシマ君(仮名)。彼の住んでいる千葉県松戸市の某所と、彼はその街並みを比較していた。
「この街並みは…! 本屋もデカイ…! コレはウチの負けか…」。彼の住む街より、足立区のこの街並みはやや勝っているらしい。
この角を曲がるとドン・キホーテがあるので、それも紹介しておこう。

「本屋の角を曲がると、この先にはドンキがあるよ」
「うぉ、ドンキかよ! コングラッチュレーション!(?) 我が街は完敗であります!」

ドン・キホーテでこの反応である。そのポテンシャルに期待大だ。

#131 - 08/11/2005 [Thu] 00:30

空気に歴史を溶け込ませて

地下鉄のニオイがスキだ。

以前に「地下鉄のニオイの芳香剤が発売されたら買う」と記したこともあった。地下鉄駅に降り立つと、やや過呼吸になっている僕がいる。
また、地下鉄で通勤したいがために庶務さんに泣きついて定期の申請を出したということも、粉飾のない事実である。

すべては地下鉄に乗りたいがため。地下鉄のニオイに身を委ねたいがため。
特に、東京メトロ銀座線上野駅の、昭和初期からの空気を封じ込めたかのような、あのニオイは本当にかけがえがない。

日本発の地下鉄にはしゃいだ下町の活気を包んだ空気、戦争の爆撃にも耐え忍んだ空気、高度経済成長時代に多くの団塊の世代を輸送した空気、バブル景気から平成不況への隆盛と凋落の中の空気、そしていまとこれからを司る21世紀の空気…。
東京メトロ銀座線上野駅は、そのすべての空気の中、地下鉄を通してそれらの時代を静かに見守ってきた。雑踏鳴り響く地面の下で、空気をそのまま封じ込めてきた。

そのニオイを、僕はカラダ中に摂り入れて出勤するのだ。
東京メトロ銀座線上野駅のニオイには、空気に溶け込んだ/空気に染み込んだ 歴史の重みがある。そう思うと感慨も深いだろう。

だが、帰宅してベッドにもぐり込んだら、敷いてあったタオルケットからなぜか千代田線の車内のニオイがしたのだ。これには思わず舌打ち。

断っておくが、電車の車内のニオイはスキではない。あんなのただの加齢臭ではないか。
そして、我が身にも徐々に近づく加齢臭(川柳風に)。

#132 - 08/15/2005 [Mon] 23:53

God hits us, again

先日、出先からの帰宅途中、落雷によって電車の運行が停止してしまった。
地元に帰る途中の曳舟(ひきふね)駅で電車は停まってしまい、1時間以上待っても電車は運行を開始する気配も見せないため、タクシーを拾い帰路に就いた。
4,260円であった。4,260円で、あった。よ、4,260円…。

8月12日23時ころ

添付の画像が、そのときの関東地方の落雷のもようである。赤いマークは、直近に発生した落雷を示している。
逆に解りづらくなってしまったかもしれないが、画像では我が町足立をフォーカスしてみた。

うむ、真っ赤である。

神は足立に地震の制裁を加えたのち、こうして聖なるいかずちをも集中させた。
足立区民の横暴を見るに見かねた神は、足立区民を一喝するがごとく、ついに立ち上がったのだ。

昔から、怖いものの代表として「地震・雷・火事・おやじ」が挙げられる。
この夏、我が町足立はこの象徴を見事に踏襲しているのだ。秩序を守れば、次は業火が足立を焼き尽くすことになる。

そして、焼け野原と化した足立の地の上で次に繰り広げられるのは、地獄のおっさん祭りである。
足立の明日はどっちだ。

#133 - 08/18/2005 [Thu] 23:44

やけくそ

地元の安売りクツ屋が閉店した。

ある日の午後、自転車で店先を抜ける。
店先にはラジカセのようなモノが置いてあり、そのラジカセはやかましく客寄せをしていた。
在庫処分セールをしているのだろう、サンダルが100円だったりと、ヤケクソ感を撒き散らしながら、クツ屋はその終焉を迎えていた。

しかし、ヤケクソなのはサンダルの値段だけではなかった。
ラジカセから、残念としか言いようのない音質で垂れ流される、客寄せのメッセージ。

「いらっしゃいませ、いらっしゃいませ! 最後の最後の、最終ラストです!

なんだこのヤケクソ感。これじゃあ「おしまい」という意味を持つ言葉をただ連呼しているだけじゃないか、カウボーイよ。
ここまで意味のないメッセージは、いまだかつて聞いたことがない。もうメッセージというより“音”だろう。普通にびっくりした。

そして、在庫を大量に抱えたまま「最後の最後の最終ラスト」というデスティネーションに到達したこのクツ屋。
閉店後の跡地に同一なスタンスのクツ屋が再び開店したところに、強烈な足立区クォリティを僕は感じた。

#134 - 09/13/2005 [Tue] 23:24

めがね雑誌

彼女のバイト先(マック臭)の人が、僕のことを東京メトロ千代田線北千住駅のホームで見かけたらしい。

帰宅ラッシュで人ごみにあふれる北千住駅ホーム。その中で、僕という生ゴミのような存在を見出すというのは、奇蹟に近しいのではないか。
その上、その彼女のバイト先(マック臭)の人は、僕が就職することによってマックと決別するのに前後して、マック臭に染まった人である。僕と仕事をしたあの短い期間で、僕という生ゴミの特色を、よく覚えることができたものである。

そういう数々の奇蹟を念頭に置き、僕は彼女に「それにしても、僕がよく解ったよね」と言った。
それに対し、「ちえさん(バイト先の人の名)はバドミントンやってるからね、動体視力がいいんだよ」と彼女。

いや、動体視力が良くないと捉えられないような動きを、僕はしていない。

「や、別にそんな素早く動いていたワケじゃなくてね…」
「バドやってると動体視力が良くなるからね」
「うん、人ごみの中で見つけられたっていうのがスゴくて…」
「さすが ちえさんだよね、動体視力もいいし」
「や、動体視力とかじゃなくて、僕の特色とか覚えているのもスゴいよね」
「バドやってると動体視力が良くなるからね」

平行線をたどる会話。

#135 - 09/15/2005 [Thu] 00:05

瞬間の芸術

小学校のプールの時間の前後は、教室内で更衣を行う。

いま考えると人権蹂躙も甚だしいと思うが、少なくとも僕が小学生のころまではそうだった。
そこで僕は、不細工です代(from ラッキーマン)風味な女子児童の生ケツを目撃してしまうという、ある種のトラウマを抱えたワケだが、僕よりも大きなキズを抱えてしまったのはほかでもない、ヨシノ君(仮名)だろう。

プールの時間が終わり、教室で更衣する我がクラス。このとき、事件は勃発した。

ヨシノ君のパンツがない。

なんか てるてるぼうず のようなタオルを身にまとったまま、自分のパンツを探すヨシノ君。その形相に一切の余裕はなく、切迫した事実を物語っていた。
実際、そのまま直でズボンをはけばいいものの、そういった寛大な心はなかったのだろう。大慌てで、自らのスキャンティーを探すヨシノ君。

そのとき、窮地に立たされたヨシノ君に、オオサト君(仮名)から最高峰のソリューションが提示された。
「ヨシノ、とりあえずこれで(股間を)隠せ!」

オオサト君の右手に高々と掲げられたのは、汚く“神”と書かれたわら半紙であった。

この“神”の文字は、ドラゴンボールに登場する神さまのロゴをあしらったものである。あの騒動の渦中、わざわざ“神”と「ほけんだより」とかの裏に書いたのである。
いまとなってみると、かなり逸脱したセンスである。むしろ排他的ともいえよう。

半泣きで“神”と書かれたわら半紙を股間にあてがうヨシノ君。
もうどこまで真剣なのかが解らない。混沌と混乱と狂熱の青春である。

半泣きで股間に“神”。実際、これこそがガチの人権蹂躙である。

#136 - 09/21/2005 [Wed] 23:22

FLY FLY FLY FLY 大冒険!

会社のトイレの個人ブースで、用を足しながら眠ってしまった。

昨日は、家に着いたのが22時前だった。そして今朝は6時前に起きた。
疲れがたまるシーケンスの渦中。個人ブースで自分の時間を楽しむひととき、眠ってしまうのも仕方ないだろう。

だが、眠りから目覚めた理由が「筋斗雲に乗っている夢を見ていて、落ちそうになったのに連動してカラダがガクンとなったから」であったのは、いかがなものか。

現実をよく見ろ、みたむらさん。キミの乗っているのは便器じゃないか、カウボーイよ。
実際、夢の中で僕は、筋斗雲というか便器に近い何かに乗り、木々をかき分け滑空していた。

そして己の爆心地(*1)の直下には、直前に産み落とされた、ほっかほかのサムシングである。

つまり、こういうことである。
『TOTO』あるいは『INAX』と書かれた、「おしり」とかいうボタンを搭載した筋斗雲にまたがり、颯爽と参上する僕。
そして、おなじみのこのセリフである。「オッス! オラ、みたむら! いっちょ やってみっか!」。
下半身の衣類は、すでにズリ落ちている。
この おなじみの決めゼリフの後で僕が何を いっちょ やってみるのかは、文章の流れから推測していただきたい。

会社では仕事柄あまり会話を交わさないので、だいたいこんなことを考えています。

(*1) 爆心地…包み隠さず言えば、肛門のこと。

#137 - 10/04/2005 [Tue] 00:07

ブルジョワジー

ミラコスタのロビー

遅い夏休みをとったので、それを利用してホテルミラコスタに泊まってきた。

一泊一室41,000円ということもあり、高級感に満ち溢れた屋内。ロビーの吹き抜けも高い。
あまりの高級感に、萎縮しつつある僕がいたことも事実である。ホテルの人に怒られたらどうしよう。クツは汚くないか。

部屋に通されて、その部屋の美しさに息を飲む。
41,000円でも最も安い部屋であり、それでいてこの高級感である。どうしてしまったのか、千葉県浦安市。
これではうかつに放屁もできないとは、読者の誰もがうなずくだろう光景であった。実際、何発か しでかしたのだが。

そして、入浴タイムである。フロも広めにとってある。シャワーもデカイ。
備え付けの白いタオルでカラダを洗う。タオルが白いので、カラダを洗うとなんとなくタオルに汚れがつく気がする。
タオルに汚れがついたことについて、彼女に問い合わせてみた。

「やっぱり今日はディズニーシーでたくさん遊んだから、タオルも汚くなったね」
「そうかな?」
「や、でもなんかタオルが汚くなった気がしたよ」
「…劣等感じゃない?」

彼女の的確すぎる意見には、真顔になることもしばしばである。

気づけばこのサイトも1周年でした。
もう少しがんばって更新したいので、誰か僕に時間とおカネをください。

#138 - 10/16/2005 [Sun] 22:32

我がまち☆あだち

地元・足立区の一角に、「ラブホテルの隣に産婦人科」という、とんでもない場所がある。

勢い余って「とんでもない」と書いてしまったが、始まりから終わりまで、しっかりサポートしているとも言えよう。
うっかりアレしてしまったときも、万全の体勢が整っている。悩みは無用だ。

だが、もし自分がそのラブホテルの隣の産婦人科で生を授かったとしよう。その心境は複雑である。
「あなたはね、ここで産まれたのよ」。その隣に燦然と輝く、「フリータイム 5,775円(税込)」の文字。フリータイム、直訳すると「自由な時間」である。

たまたまラブホテルの隣の産婦人科で産まれただけなのかも、解らない。
しかしながら、後から後から沸き起こる疑念を禁じえないことも、また事実である。

さらにそのラブホテルと産婦人科の向かいには、大きな公園もある。コドモが大きくなってからも、遊び場には困らないこと請け合いである。
足立区の都市計画は、瞬間最大風速的なファインプレーを見せる(魅せる)こともあるのだ。

#139 - 10/23/2005 [Sun] 20:27

日差しの下の桜田通り

どうも、週刊トーキョーショートサイトです。

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その日は同期のフクシマ君(仮)とともに、会社の外で昼食を摂った。

メシも食べ終わり、よく晴れた港区の街並みを少し散策することにした。
「こっちいくと、じょ、女子校があるんだよ」。
まったく、フクシマ君の持つ男子高校生のテンションには脱帽である。とても社会人とは思えない。

だが、脱帽するのにはまだ早かった。
近くを走る 桜田通り(国道1号線・片側2車線)の交差点付近で、僕は猛烈な違和感を抱いたのだ。

ふたり乗りの自転車が、右折レーンで右折信号の点灯を待っていた。
もちろん、自転車の前にはクルマ、後ろにもクルマ、である。

ものすごくいいカオ、すなわちハウメニーいいカオで、自転車のサドルをまたがる外国人の男性。
そして荷台では、恥ずかしそうに日本人の若い女性。
暖かい秋の日差しは均等にカップルを照らし、「軽車両は原則二段階右折」という道路交通法から彼らを赦していた。

「やるなぁ、ガイジン」。フクシマ君はなんとなく感想を残し、いそいそと女子校方面へと向かっていた。
そのあと僕は、「世界のヘイポーは何で“世界のヘイポー”と呼ばれるようになったのか」について、説明することしかできなかった…。

#140 - 10/24/2005 [Mon] 23:59

Zen-Kai

どうも、デイリートーキョーショートサイトです。

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日曜日はとても天気が良く、僕は自転車に乗って散歩がてらいろいろ買い物をした。充実の日曜日だった。

ああ、チャックさえ全開じゃなければな!

自転車で方々(足立区内)を巡り、帰宅してイスに腰掛けてから気づく僕の珍プレー。道中でトイレには立ち寄っていないので、A to Z で 股間は解き放たれていた。
輝く太陽の下、僕は街並みを愛車で疾走していたのだが、どうやら我がスキャンティーにも等分に日光は差し込んでいたらしい。まさに珍道中である。

自転車をこぎ出してからタイヤに空気があまり入っていないことに気づき、その辺の自転車屋で空気を入れさせていただいた。
「すいません、空気入れ貸してください!(チャック全開で)」

コンタクトレンズを新しくしようとしたのだが、併設の眼科が診察を終了していて処方箋をもらえなかった。
「そうですか、今日はもうムリですか…じゃあまた来ます!(チャック全開で)」

信号待ちをする僕。日なたでは ねこもお昼寝。かわいいなぁ(チャック全開で)。

家電量販店で液晶テレビの品定め。店員との会話も弾む。
「23型ハイビジョン液晶で15万円ですか…まぁ、またしばらく検討してから来ますね!(チャック全開で)」

紳士服の店で、オサレネクタイとくつ下を購入。
「カードで、支払い方法は一括でお願いします!(チャック全開で)」

カーテン屋で、以前注文していたカーテンを受け取る。
「カーテンが納品されたと聞いて伺ったのですけど…(チャック全開で)」

チャックが全開だったというだけで、すべてのみずみずしい思い出が一瞬にしてアンタッチャブルなものに。
きっと、すべての店で「チャックさん」あるいは「オープニングみたむら」などといったコードネームがつけられたことだろう。自らの経験から、想像に難くない。

これからは出かける際に戸締りやガスの元栓ももちろんだが、オノレの元栓もキチンと確認してから街に繰り出そうと思う。うむ、うまくまとまった感に満ち満ちている。

#141 - 10/25/2005 [Tue] 23:59

見えない

時間軸をズラしてでも毎日更新にトライ。

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帰宅の波が、通路を駆ける。地下鉄ホームから地下鉄ホームへ。

その波に飲まれることなく むしろ波を率いるかのように、弱視ないしは盲目の男性が杖をつきながら駆け抜ける。
視力に不自由さを抱えているとはまったく思えないその動きには、失礼かも解らないが、僕は大きな感動を覚えた。

一方で、波消しブロックともいえる、ケータイを操作しながら歩く若い女性。
通路を駆ける人波に疎まれていたであろうことは、書くまでもないだろうか。

彼女の行動には、何かしらの緊急性/必要性があったのかも解らない。
しかし、それならばせめて…。
そう、彼女のその行動は、彼女が持ち合わせている論理をすべて“言い訳”に変えてしまうだろうものであった。

視力の不自由さが、必ずしも「見えない」とイコールになるとは限らない、ということ。
そのことを僕らはどこかで認識して、考えなければならないと思う。

#142 - 10/30/2005 [Sun] 22:55

Know-mu

先日、ものすごい霧で東武伊勢崎線が遅れていた。

東武伊勢崎線とは、僕がアウシュビッツ(会社)に行くために使う、いわゆる人畜輸送列車のことである。
アウシュビッツに向かう魔列車が、その日はものすごい霧で遅れていたのである。

まぁ正直、「納期」と呼ばれる毒ガスで苦しめられるアウシュビッツになんて行きたくはなかったので、そのまま永久に運行を停止してしまえばよいとも思っていたのだが、霧によって遅れるとは、ここにきて足立区クォリティ丸出しである。
台風や大雪でもワリと元気に人畜を輸送する東武伊勢崎線が、霧というなんとも曖昧な現象で運行に支障をきたしていた。その事実には、失笑を通り越して閉口である。

だが、20m 先がもう見えなくなるほどの濃霧である。濃霧というか、ものすごい霧と、あえて言おう。ものすごい霧であった。遅れが出るのもいたしかたない。
濃霧が街を包むさまは、まるで映画『首都消失』である。このまま足立区がこの世から消失してしまえばいいのにね。

そして駅に遅れて到着した魔列車には、おっさんが満載である。ザッツ☆不運。
軽い舌打ちをしながら、僕は人畜輸送列車にねじ込まれ、アウシュビッツへと向かったのであった。ザッツ☆不幸。

#143 - 11/07/2005 [Mon] 02:16

ユースフル・デイズ

アウシュビッツ(会社)に向かう地下鉄車内。やや混み始めた。
駅に電車は停まり、女子高生が乗車する。

そして、5〜6コ入るタイプのミスタードーナツの箱をおもむろに開け、ポン・デ・リングをパクリ。えーっ。

やや混み始めている車内である。その自由の利かなくなる車内で、ポン・デ・リングをパクリ。
ところが、その行動すべてを肯定するかのような雰囲気を、彼女はかもし出していた。これが俗にいう若さか。

もし、同様の行為をババァがしはじめたとしよう。
車内にこだまする舌打ちと、ババァを突き刺す冷淡な視線。その後のババァの一挙手一投足にイラ立ちを覚えるだろう。

だが、車内はそのような緊迫した状況に陥るどころか ちょっとした温かさをもって、ミスドの彼女を内包していた。
これもすべて、若さの成せる業なのか。

でも正直、おじさんはびっくりしたよ。その後キミ、エンゼルフレンチも食べ始めていたよね。いくらなんでも食べすぎじゃないかな。

#144 - 11/08/2005 [Tue] 00:24

birds of a feather flock together - first part

たびたびこのサイトに登場する、同期のフクシマ君(仮名)。
会社の昼休み、彼とともにコンビニへと行った。

コンビニに向かった理由が、お互いのファッションの A-boy(*1) っぷりを是正すべく オシャレ雑誌を求るために、であるあたり、やや救いようがないのだが、事実がそうであるために湾曲なく記す。
だが、フクシマ君も僕もそういった雑誌に対する興味は早々に消え失せ、店内を物色し始めていたこともまた、事実である。

その店内で発見したのが、『ホリエナジー』である。

この脱力感と、どこからともなくやってくる失笑は久しぶりである。コレ キタ…。
僕はとりあえず「ケンカ売ってるのだろうか」という感想を漏らし、なんとなく笑った。

しかし、そんなことよりも特筆すべきはこの『ホリエナジー』のキャッチコピー、「想定外の仕事に」に対する、ふたりの見解が共通したことである。
まったく意見を交わさぬまま、以下の会話に突入した。

「『想定外の仕事』ってさぁ…」
「『バッド・エンド』のことだよね…」

『バッド・エンド』とは、これすなわち“思いがけずやってきた脱糞”を指す。

「想定外の仕事に」必要なのはとりあえずパンツである、という一意を互いに確かめ、僕らはコンビニを後にした。
後編ではこの『バッド・エンド』について、もう少し深く掘り下げよう。

(*1) アキバ・ボーイ の意。

#145 - 11/10/2005 [Thu] 00:18

birds of a feather flock together - Latter part

さて、なぜ“思いがけずやってきた脱糞”を『バッド・エンド』と呼ぶのか、そのことからヒモ解いていこうと思う。

不意にやってきた強烈な便意。
悪魔は、容赦なく爆心地(*1) の閉ざされたトビラをノックする。たまに笛も吹く。まさに悪魔が来たりて笛を吹く(*2)、である。
だが、勇者はその悪魔を、いろいろな白魔術(*3)で追い払うことに成功した。これぞ『ハッピー・エンド』だ。

つまり その逆を体現してしまったとき、しでかしてしまったとき、恐れていた『バッド・エンド』が我が身を襲うのだ。

尻にはサムシングの感触。同時に感じる悲しみの体温。ひと呼吸おいて漂い始める、懐かしき香り。
知能生命体・人間としての強烈なやっちまった感。社会における地位も自我も、ただ一瞬の気の緩みで脆くも崩壊。
悪魔に魂を乗っ取られたとき、結局 頬を伝うのは、悲哀の結晶 涙である。

出来ることならば逃れたい『バッド・エンド』。悪魔はあらゆるスキを狙い、個人の自由の利かない環境を苗床として、僕らにその毒牙を向ける。
同期のフクシマ君(仮名)は、主に常磐快速線で悪魔との格闘を繰り広げるらしいが、どうにか寸でのところで完封勝利を収めているそうだ。

そういった次元の会話を、日差しの穏やかな秋の日の昼下がりにオーストラリア大使館付近で繰り広げていたのが、IT 業界でボロ雑巾のようになっている僕らです。

(*1) 爆心地…包み隠さず言えば、肛門のこと。
(*2) 笛≒屁。つまり「便意が来たりて屁を放つ」ということ。
(*3) 正露丸糖衣錠。

#146 - 11/21/2005 [Mon] 00:00

さっさと引越し!

引越すことになった。

今の家に越してきてまだ間もないのだが、いろいろ思うことがあり、転居を決断した。

まず、せっかくの南向きだというのに、洗濯物を干すのは北の物干し台。意味が解らない。
また、2005年になったというのに洗濯機を置く場所はベランダ。いよいよ折からの寒さで、溶け残った粉末洗剤がバスタオルにつき始めた。
地震で異様に揺れることも、転居理由のひとつである。実はこれがいちばんの転居要因かもしれない。先日の震度5強の地震から、風呂場が傾き始めている気がする。
あと、給湯器がいまだに直っていない。
それに窓が無意味に大きいので、部屋の熱も逃げる。夏は夏で、冷房の効きが悪すぎる。

そう、この家を選ぶときにもっと吟味すればこうした事態の多くは避けられたのだが、今となってはもうアフター・ザ・カーニバル、後の祭りである。

その二の足を踏むわけには行かないと思いつつも、新しい転居先もかなりの即決であったことに、やや暗い未来の想像を禁じえない。
1年も経たないうちに「引越すことになった」という書き出しでこのコラムが書かれた日には、もう日本語で記せるうちの最悪に汚い言葉で僕を罵倒してください。お、お願いします! もっと汚い言葉で! 左の頬もお願いします!(ハード M)

僕の更新頻度がいまひとつなので、彼女にお願いしてブログを始めてもらいました。
こっちとともに、ブログのほうも愛してやってください。
心のめがね(仮)

#147 - 11/25/2005 [Fri] 00:33

助詞“も”の使い方が秀逸

週刊文春12月1日号

さて、「髪型も偽造 姉歯一級建築士」である。

この書き出しと添付画像で、もうたくさんだと思われる読者の方々も多いことだろう。
だが、久々にセンセーショナルな中吊り広告である、採り上げないワケにはいかない。

さまざまなところで物議を醸し出しているこの一件だが、ついに話題は毛髪業界へと飛び火した。
いや、実際のところこの中吊り広告を目撃しただけで雑誌の本文を読んではおらず、本当に毛髪業界に一級建築士が殴りこみをかけたのか、真偽のほどは不明である。

しかし、一級建築士のことである。自らの頭皮のコンストラクションにも、余念はないハズだ。
節約した鉄筋の本数分、自らの頭頂部のグランドステージに建立したのは間違いないだろう。

しかし、その再開発にはムリがあった。
素人目には、『グランドステージ姉歯』の設計は不自然極まりなく見える。
台風上陸でサムシングがふっとび、あえなく終了といった風情である。地震よりも暴風雨に弱そうだ。

さまざまな憶測を交錯させる、「髪型も偽造 姉歯一級建築士」のコピー。
帰りの東京メトロ南北線で、隣に座っていたおっさんも半笑いで読むワケである。

#148 - 03/04/2006 [Sat] 01:25

3ヶ月間の空白 (1)

「もう読者の方々は誰も、こんな腐れサイト見ていないんだろうな…」と思っていたのだが、コンスタントに1日あたり50人くらいアクセスしてくださっていたようだ。大変ありがたいことだ。

というワケで、NTT東日本のカウボーイたちに振り回されもしたが、どうにかネットが出来るようになり 戻ってくることが出来た。今日からよろしくお願いいたします。

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なぜ、ここまでインターネットが開通するのに時間がかかったのか、その経緯を説明しよう。とりあえず話はそれからだ。
このさき、大して面白くもないわりに長大な話が延々と続くことになるが、僕のことをキライになったりしないで いただきたい。

2005年11月中旬。急に決まった引越しに伴い、それまで使っていた光回線の新居への移設を考えた。
だが、同コースのまま住所変更を行うと かなりの金額の手数料が発生するため、僕はそれまで使っていた TEPCOひかり より、NTT東日本のフレッツ光へのコース変更によって、その多額の手数料支払いを回避しようと考えたのだ。
NTT東日本への光回線開通の申し込み、すべての歯車が狂い始めたのは、いま考えればこのときだったのかもわからない。

光回線の開通には、申し込みから1〜2ヶ月かかることは承知していた。ゆえに、引っ越してからすぐ インターネットが使えないことも覚悟していた。
そういった、ネガティブな気持ちに拍車をかけるかのように、光回線敷設工事に関する連絡がNTT東日本側から一切なかったのもまた、事実である。そして11月は終わっていった。
NTT東日本から工事に関する連絡が来るであろう時期は11月下旬。それはプロバイダからの情報であったので かなり確かなものであると信じていただけに、この時点でかなり打ちのめされた気分であった。

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まだまだ続くし今日はもう眠いので 続きは明日にでも書きます。おやすみなさい。
あと、喪中なので新年の挨拶は控えさせていただきますが、今年もよろしくお願いします。

#149 - 03/05/2006 [Sun] 19:44

鳥だったのかもしれない

三菱東京UFJ銀行

もうだいぶ時間が経ってしまったが、UFJ銀行と東京三菱銀行が合併し 三菱東京UFJ銀行になった。巨大メガバンクの誕生である。

僕はそのことについて偉そうにクチ出しできるほど 経済関係に精通しているわけではないが(何しろ西千葉三流大学三流学部四流経済学科卒である)、個人的な主観から言えることはただひとつ。このロゴマークがコワイ。

このロゴマークを新聞や街中で見かけると、ちょっとビクッとなる。現代にメドゥーサが現れたかのような衝撃だ。石化の恐怖。
巨大メガバンクであるということを世間に再認識させるためには、これくらいの恐怖が必要なのだろうか。本当にこのロゴマークは恐ろしい。

同様にカラス除けの風船(なんか丸が書いてあるヤツ)もちょっとビクッとなるので、恐らく目玉的な図形に恐怖を感じるのだろう。
いまはもう見かけなくなったが、昔の日立のマークもコワかった。そのコワイ日立のマークを見かけなくなった矢先、この三菱東京UFJ銀行のマークの登場である。僕を陥れようとしているのか。

昔の日立のマーク

これらのマークを考える会議に僕が出席していたなら 全力で採用を阻止していただろうが、もう決まってしまったなら仕方ない。なるべく三菱東京UFJ銀行および昔の日立から目を背けるのみだ。
しかし、裏腹にこうして自身のサイトに貼り付けてしまった僕は ドM であるなあと再認識したところで筆を置く。筆なんて持ってねぇ〜!(亀)

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あと、ADSL開通までの顛末は、あまり面白くないうえ愚痴を書き連ねることになり 誰も得をしないような気がしたので、連載を見送りました。
もし続きを読みたい方がおられるようなら、BBS とかに「読みたい! 書かなければ家を燃す」などの書き込みをしていただければ幸いです。でも家は燃やさないでください。

#150 - 03/06/2006 [Mon] 21:47

天国にいちばん近い地獄

朝、『ズームインSUPER』を点けていたら、耳に飛び込んできた「今日の占い、1位はふたご座!」の声。
僕はふたご座なので有無を言わさず1位である。やった。

大して星占いの類は信じていないのだが、それでも最もラッキーなのはうれしい。今日は、どんなハッピーが巻き起こるやら。

幸先のいい月曜日の朝。意気揚々と出社のために iPod の電源を入れると、出ました、意味不明な画面。
画面いっぱいに広がる、英単語と「$」のマーク。なんかセーフモードで起動した Windows のようである。おいおい、こんな画面見る必要があるのは 会社でだけにしてくれよ。

仕方ないので iPod は家に置き、ため息混じりに家を出る。僕のカラダはレミオロメンを欲していたというのに。
電車の中では、「ッア〜ッ!」などの おっさんサウンドがダイレクトに耳に飛び込む。朝の爽やかさのカケラもない、地下鉄日比谷線の車内。

その上、会社の近くで ゴミ収集車に轢かれそうになった。内輪差の恐怖。
世界でいちばん死に近い時間は、朝8時前後であると つくづく思う。

家に帰ってきてこの時間になったが、もちろん ラッキーなことなんて ひとつもない。

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